Anything Goes あるいは サマータイムブルース

 梅雨に入ったばかりの北千住の空は、炊飯器の中にほっておかれた白飯を思わせるような色の雲が敷き詰められていた。昨日あたりから敷き詰められていた雲からは粘性の高い雨が地面に降っていたせいで、ベランダから見える荒川は深い緑のような色ではなくうすい泥のような色をしていたし、同じくベランダから見える鉄工場は休みの日ということもあって関節がきしむような音をあたりに撒き散らすようなことはなかったが、前日から雨に濡れた鉄の色はくすみきっておりベランダから辺りの様子を見回していた俺の気持ちを曇らせるには十分だった。
 一週間前のことを思い出す。俺はしげさんという小柄な女の子のことを思い出すのである。しげさんは20歳を超えているから、「女の子」という表現は適当ではないかもしれないが、小動物を思わせるような愛くるしい表情やひとつ間違うと金切り声のように聞こえるしゃべり方を見てしまうと「女の子」という表現をしたくもなった。だがしげさんは俺が思うような「女の子」である以前に「アイドル」であった。しげさんはJK21というアイドルグループに所属していて、数年間の活動を経たのちに「卒業」という表現でもってアイドルの活動を終えたのだが、それが一週間前のことだったのだ。


 不運にもお前はこんなブログを見に来るような物好きなのだから、そこでしげさんと俺とがどんな会話をしたのが気にかかるのかもしれない。あるいは、ドラマ性のある出来事があったのではと思うのかもしれない。だが、そんなことはなかった。会話も出来事もなかった。一週間前、俺は新幹線で大阪まで出向き、関西テレビ内のステージで博多のアイドルグループであるHRとJK21のライブを見届けて、新幹線で東京まで戻り、秋葉原カルチャーズビル6階の「アイドル育成型エンターテイメントカフェ」なる大仰なコンセプトの店で黒ウーロンハイを飲み干して、そこのキャストたちが歌う歌に見送られる形で帰路に着いたのである。つまり、俺としげさんとの間でコミュニケーションと呼べるような出来事はなかった。俺が報告できることはそれだけだった。
 なぜそのような事態に陥ったのかという説明は省きたい。全ては日々の営み、つまらない言い方をすれば翌日の仕事のせいで悠長に大阪に滞在することが許されなかったからで、お前のような断罪を望む人間に都合の良い言い方をすれば、俺のせいなのだった。全ては、スケジュールを管理することをせず日々酒を飲み続け現実と適当に付き合う一方でアイドルという名の空想に逃げ込む、俺のせいなのだった。新幹線の行き帰り、あの日の空の色を思い出すことはできない。それはしげさんに会えなかったという悔恨よりも目の前のアルコールのせいであった。


 俺が初めてしげさんの顔を見たのは田町のライブハウスだった。JK21は遠征と称してたびたび東京を訪れ、週末に開催されるアイドルのライブにちょこちょこと顔を出していた。いかつく低音の声が効いた「番長」というニックネームの女の子も気になったが、「研究生」という名目でライブに出演していた、小動物を思わせるような愛くるしい表情をした女の子も気になった。しげさんのことである。この数年間、俺がしげさんに抱くイメージはまるで変わらなかった。サイン会では周りの狂騒をかき消すかのような大声でしゃべり、MCでは常にほかのメンバーのコメントに注意を払い、チャンスと見るやリスが木の実をかじるような勢いで関西仕込みのツッコミをいれた。田町で初めてしげさんを見てから、しげさんは正式メンバーに昇格し、リーダーになったかと思えば、スキャンダルの真似事みたいなスキャンダルに巻き込まれたり、またリーダーに復活したりしていた。そんな間にもJK21のメンバーは次々に入れ替わっていった。前述の「番長」も面長でカリスマとしか言いようがない風格をもった前リーダーも理想の高さゆえにアイドルの道を自ら断った女の子もみな去っていった。そして素人然としたメンバーが加入して、何かしらの個性を見つけていった。JK21はそうした新陳代謝が激しいグループであるがゆえに、しげさんにリーダーに返り咲いてからグループを去る日を考えなくてはならなくなった。それは俺も一緒であったが、去るかもしれないという不確かな未来のためにかける言葉などあるはずもなかった。俺は未来を考えることも過去を顧みることもできなかったから、しげさんだけでなくアイドルに対しては現実に直面した言葉しかかけられなかった。希望も絶望も俺の中にはなかったんだと、しげさんがJK21を去ってから改めて感じるのだ。そして俺はその出来事をまた顧みることもなく、また未来を向くこともないんだろう。Twitterで思い出をなぞり、ぼんやりと空想することで未来や過去を行き来する気分になれるのだから。


 俺は秋葉原カルチャーズビル6階のカフェのカウンター席で酒を飲んでいた。雲は北千住でも秋葉原でも同じ灰色をしていたし吹き付ける風は冷たかったが妙に湿っぽく、体にまとわりついては快気を奪うような気がしていた。そんな気分はカウンター席で酒を飲んでいても変わらなかったが、カフェのステージに渡辺美里が好きだとサイトのプロフィールに書いてあったキャストがいて幾分かその気持ちは晴れた。ステージ上のあの子が渡辺美里の『サマータイムブルース』を歌えば気分も晴れるかもと思ったのだが彼女が歌ったのは中森明菜の『desire』だった。俺は『desire』の歌詞の内容を考えることなく、何を望んでいたのだろうかを考えていた。未来にも過去にも本当に望むものを見出せなかった俺が現実に望むものはなんだろうと考えていた。夏がくれば、その答えが出るのかもしれなかったし、答えの代わりにあきれるほど繰り返した後悔が押し寄せてくるのかもしれなかった。そしてそれも未来の話、または空想に過ぎなかった。現実的に俺が思ったことは、声をひねって中森明菜を歌うステージ上のあの子、小動物みたいでかわいいなということだけだった。