0319→0317

 俺は3月17日に渋谷で行われたNegiccoの単独ライブの感想を書こうとしているのだが、その前にあるアイドル(アイドルの名前を仮にAとする)が所属するグループを抜けたという話をしたい。Aを初めて観たのはおそらく1年前のとあるライブだったと思う。そのときには俺はAの名前も姿も把握しておらず、その他大勢の中にAがいたという認識だった。やがてAはあるグループに所属して、俺も何度かそのグループを観に行った。Aのダンスや歌はグループの他のメンバーに比べて一日の長があった。それはAがアイドルになるための訓練を積んできた証拠でもあり、訓練を積むための時間を費やしてきたことの証拠でもあった。その証拠を自分の目で確かめたからこそ、俺の知り合いの中にもAに魅了される人間が多かったのである。

 そのAがグループを抜けた。Aが事務所主導ではなくプライベートで作ったブログにグループを抜ける理由が記載されていた。夢に向かって走り続ければ体も心も疲れる、Aは疲れきったのだ、と俺はAのブログを読んで思った。夢に向かって走ることは長距離走とは異なり、給水所で水分を補給することも出来ず、明確なゴールがあるわけでもない。「頑張れ」という無力な言葉しかかけることが出来ない観客だけが、夢に向かって走り続けるAにとっての支えだったのかもしれない。Aが疲れきって走ることをあきらめたときに何を思ったのだろうか。観客の顔だろうか、自らが目指していた夢だろうか、依然として夢に向かって走り続けるランナーたちだっただろうか。その答えを知っているのはAだけしかいないことしか観客の俺にはわからなかった。

 Negiccoの単独ライブの話をする。Negiccoの単独ライブはSOUND MUSEUM VISIONという「高純度なアンダーグラウンドスピリットが充満するDEEP SPACE」(SOUND MUSEUM VISION公式サイトより抜粋)という一般人にはすぐに連想できないような場所で行われたのだが、去年の3月20日にもNegiccoは渋谷で「STAR☆JUMP☆STADIUM」と銘打った単独ライブを行っていた。東日本大震災からわずか9日後、アイドルのライブを初めさまざまな催事が延期あるいは中止となる中でNegiccoは単独ライブを予定通り決行したのである。開催にこぎつけたのはさまざまな人間の努力があってからこそであろうことは俺は理解していたつもりだったので、素直に快哉を叫んだし、震災によって生まれたもやもやとした心情も晴れるだろうと思っていたのだ。
 しかし、ライブ終了後のMCでNegiccoのメンバーから告げられた言葉に俺は気づかされるのである。震災によって生まれたもやもやとした心情が生まれたのは俺だけではなかったということを。自分たちがライブを開催してもいいものかどうか、今自分たちに出来ることは何か、そして、Kaedeは「今日のこのライブが成功なのか失敗なのかまだわからない」と言った。観客もスタッフも舞台上の演者も含めて、同じ心情をもってこのライブに臨んでいたのだと遅まきながら俺は気づいたのだった。同じ心情を共有するということは、自分は孤独ではないと感じることだ。自分が孤独ではないことがわかったのだから、俺自身はあの日ライブができて良かったというのが俺の答えだったが、Kaedeはどう思っているのだろうか。俺はその答えを、あの日から約1年後に開催された単独ライブで聞くつもりだったのだ。

 結果としては、聞けなかった。それは楽しかったライブの後の握手会でわざわざ去年のライブの感想について聞くことに対する遠慮があったわけではなく、時間的な制約だった。握手をして、じゃんけんに負けて(勝てばエコバッグがもらえた)、ありがとうございましたと礼を述べたぐらいだ。でも別にそれでもいいかと思えたのは、ひとえにこの日のライブが楽しかったからだ。1年前のように、もやもやした心情をもっていろいろと考えることもなく、楽しいという感情で脳内を占めるような時間を過ごせたのだ。ダンスや歌の上手い下手ではなく、歌をトチるとか振りを間違えるとかそういうことではなく、ただ会いたかったアイドルが目の前にいるという単純なことが楽しかったのだ。いろいろな感情が入り混じっていた1年前の単独ライブに比べて、ポジティブな感情、ポジティブな言葉、ポジティブな空気を皆で共有できたのである。
 ライブ終わりに、Nao☆は「夢を叶えた人は夢を諦めなかった人です」と言った。その言葉はNegicco自身が証明してみせたのだから事実なのだ。「夢を諦めた人は夢を叶えられなかった人」と言い換えられることも、また事実なのであった。Aのことを思い出す。Aは自分の夢を諦めた人間だったのだろうか。そうでは無い、と俺は信じている。なぜならAのブログには「自分の小さな夢を叶えてくれた」と感謝の意が書いてあったからだ。Aは自分の夢に向かって走り続け、ついにゴールテープを切ったのだ。ゴールテープを切って倒れこむランナーの姿が俺の脳裏に浮かんだ。倒れこむランナーを見て、もう一度走ることを願う観客はいない。休息と感謝の気持ちを祈るだけであり、走り続けるランナーにはこれまで以上の声援を送るだけである。それが決して届くことのない言葉であったとしても。





 ※追記(2012/03/27)
 その後、Aは別の事務所に入って芸能活動を続行するとブログで報告した。「夢は叶う」と信じて夢を見続けること、現実を見て夢に区切りをつけるべきだと考えること、さまざまな意見があるだろうが、たとえわずかな期間でも好意を寄せることができた人間の幸せを願わずにはいられない。それがアイドルならば、なおさらのことだ。