Sweet Revenge

 毎日死にたいと思いながら日々を暮らしていくことはとんでもなく不毛なことではわかっていても、それから逃れる術を俺はもっていなかった。努力・友情・勝利という三原則は漫画の中でだけ適用されると思っていたがそうではなく、実際の仕事にも適用されている。そう気づいたときには怠慢・孤立・敗北という沼にどっぷりと浸かり、手足をばたつかせて息も絶え絶えにつぶやき程度の声をあげて時間が過ぎるのを待つだけの生活をしていたのだった。傍から見たら、悪くない生活なのかもしれない。週末はよほどのことが無い限り休み、それなりの残業代を含む給料をもらい、有休を取得するだけの余裕がある。しかし俺は怠慢・孤立・敗北の沼から動けない。怠慢・孤立・敗北の沼は俺が作り出した幻影なのかもしれないが俺はその幻影から逃れる術を知らない。つまり金や時間は怠慢・孤立・敗北の沼から逃れる助けにはならないということだった。

 だから俺はアイドルにその助けを求めた。俺がアイドルを好きになってもう何年になるだろうか。好きになったときは別に沼に浸かっているという感覚はなかった。せいぜい演者と客の間の疑似のコミュニケーションの楽しさに溺れているという幸福で愚かな感覚しか持っておらず、当然ながら助けを求める必要もなかったし、助けをもらったところで幻影相手には役に立たないこともわかっていた。

 それなのに、俺はアイドルに助けを求めようと思い、空しい仕事が終わった後に秋葉原に足を向けた。日々の暮らしがそれほどに辛いのなら逃げるなり抵抗するなりすれば良いのだろう。しかし逃げても抵抗しても結局は現実に立ち返るのであれば、幸福な感覚を覚えて現実を忘れることに行きつくしかなかった。後ろ向きにしか物事を考えられなくなった人間は、前を向いて生活する人間を見て何かを思うしかなかった。

 俺がバックステージpassでピンクのドンペリを注文した時、店のキャストは、え、という表情をしていた。くたびれた背広姿の男が80000円の酒を注文するとは思わなかったのだろうが、すぐに忠実な飲食店の店員としての表情に戻り、オーダーを受けた後ドンペリを運ばんとしてドリンカーへと向かった。

 このブログに行き着いた人間ならバックステージpassのことは知っているだろうが、"お客様には弊社のプロデューサーとなって、お気に入りのキャストを応援・育成・プロデュース(推し≒投票)して頂きたいのです!"という公式サイトからの引用をもってこの店の説明としたい。つまりは前を向いて生活する人間の後押しをしてほしい、ということであった。怠慢・孤立・敗北の沼に浸かった俺が前向きな人間を応援することは滑稽なのかもしれないが、その応援は誰かのためになっているという「幸福な感覚」を味わうのに充分であった。だが、俺は「幸福な感覚」に抵抗したくなった。痛みを覚えない無邪気な声援を送ることに、飽き飽きしていた。金が怠慢・孤立・敗北の沼から逃れる助けにならないとあきらめるのではなく、無理やりにでも助けにさせるのだと抵抗を試みたくなった。

 ほどなくして、バケツの中に満たされた氷水に浸かった姿でピンクのドンペリが運ばれてきた。キャストがコルクを抜き、グラスにドンペリを注いでもらい、飲む。初めて飲むピンクのドンペリは、俺が昔考えていた未来と同じくらい甘い味がした。そしてボトルの残量を確かめる。思ったより量がある。営業時間が残り1時間であることを考えるととても飲み干せる量ではなかったが、幸福な感覚」に抵抗したくなった俺は構わずに手酌でドンペリをグラスに注いで飲んだ。ドンペリはどこまでも甘い味がしたが、現実的に酔いが回り始めた。

 酔った頭の中で、はたしてこれは幸福な感覚」への抵抗になったんだろうかと考えていたが、俺の頭に浮かんだのは「復讐」の2文字だけだった。怠慢・孤立・敗北の沼に浸かり切った俺への罰を自分でくだしたのではないかと考えて、次に俺のお気に入りのキャストのことを考えた。この店ではオーダーの金額に応じてポイントがもらえ、そのポイントをキャストに割り振ることでキャストのランキングを決めるのである。ドンペリのピンクならそれ相応のポイントがもらえる。俺はそのポイントをどうやって割り振ってやろうかと考えていた。自らの罰から目をそらして、飴に目を向けた。後ろ向きなことを忘れることで前を向けるのなら、それもまた幸せかもしれないし、後ろを向いたときはそれなりの罰を受けることを恐れてはいけなかった。死にたいと思っても、どうせ自ら死ぬなんてことは俺には出来ないのだから。

アイドル・フェスティバル・イン・トーキョー

 休みの日に仕事に駆り出されるほど馬鹿らしいことはないのだと俺は思っているし、ましてやそれが仕事ではなくて職場の飲み会に参加するためならば一体俺は何のために生活をしているのか、と哲学的な思考に身を置く気分にもひたりたくもなるのだ。午後1時から始まった夏の甲子園神奈川県大会決勝の試合を俺は観ていた。高校野球はいつからか居酒屋チェーン店のような気配りが求められる物語合戦と化してしまったが、東海大相模のピッチャーが投げる変化球は「エグい」という形容詞が似合うほどの変化をしていたからスポーツとしての興奮をそれだけで得ることが出来たし、何より東海大相模は神奈川県大会決勝に出るほどの高校であるから神奈川のみならず全国から野球の上手さをアイデンティティの拠り所とした連中が集まっていたから、スポーツとしての試合を楽しむことも出来た。だがそれも途中までの話で、東海大相模が向上に大差をつけると途端に興味をなくした。それはその試合がスポーツとしての試合だったからだ。この試合を見世物として観れたなら最後までどちらかに肩入れしれ観れたのだろうが、幸か不幸かどちらにも肩入れできるほどの情熱を持ち合わせていなかったために俺はその試合を流していたテレビを消してベッドに寝転がったのである。


 俺が職場の飲み会に出かけたのはベッドに寝転がってから数時間後の話だった。数日後の週末にはトーキョー・アイドル・フェスティバルが行われ、俺はそこで至福の日々を過ごす予定なのだ。だがこの近日到来の明るい未来に対してこの現実の先の見えなさは何なのだろう。まるで雲をつかむような話だったりくもの糸に絡めとられるようなロジックだったりクモ膜下出血に倒れるような心の痛みにここ最近囲まれたせいで、未来への視野を奪われていたのである。「衣食足りて礼節を知る」と故事にあるが、心に余裕がなかったら礼節も何もなく、生きるのである。サバイバルといってもいいのかもしれない。命の危険もないのに、てめえが勝手に命の危険を感じているというのは滑稽なのかもしれないが、それも他人から見た話だ。お前の苦しさを俺は知らないのと同様に、俺の苦しさをてめえは真に理解していないのである。Twitterだったりmixiだったりで、しょせんSNSでは他人の心の痛みに気づけないことはわかっていた。それでも、みんな、他人の痛みを分かり合おうとするのである。他人が俺の思考を知ろうというのである。俺もまた、他人の思考を知ることを求められているのである。「分かり合う」という言葉が終生理解できそうにない俺にとっては、他人の思考を知る行為そのものがダイヤモンドにつるはしをふるう作業にように思えた。

 俺は職場の飲み会が行われる予定の居酒屋に立ち寄り、またぶらぶらと歩き出した。職場の飲み会が行われる時間を1時間早く間違えていたため、俺はどこかで時間をつぶさなくてならなかった。とりあえず、セブンイレブンに行ってトーキョー・アイドル・フェスティバルのチケットの発券でもするかと考え歩き出した。有給のための時間を有効に使えない自分の間抜けさにかすかな怒りが立ち込め、有給の日に仕事に駆り出されることの矛盾について考えようとした。あれ、矛盾って英語で何て言うんだっけ、comfortableだっけ、バカ、それは「気持ちいい」だろ、でも確かcomだかconだかは頭についてたんだ、えーと、あれだ、consensusだ。それも違うだろ、そもそもconsensusってどういう意味だっけ。意見の一致とかそういう意味だったような気がする。スマホで調べてみよう。だったら矛盾が英語で何ていうのか調べろよアホが。なんて心の中でつぶやきながら発券をしてもらった。店員から手渡されたチケットを見て、今年もか、なんて考えてアーケードで半分隠れた空を見上げた。comfortableもconsensusもcontradictionもたぶんあのアイドルの集まりには含まれているんだろうと思った。


 そしてトーキョー・アイドル・フェスティバルが終わった。いつも通りだった。具体的な不満や満足も抽象的な感情も全て、俺があの夏の日に感じたこととだいたい一緒だった。俺は仕事の切れ目だったがゆえにこの祭りの日に運よく参加することが出来た。来年はどうだろうか。いつか参加できなくなるような事情が出来てしまうかもしれない。フジテレビの屋上、エレベーターを上がってすぐに空を確認することはできない。ただ広い空間にいる。その広い空間でアイドルの曲が遠くに流れているのを聞きながらたたずんでいる、そんな空虚に気分になりながらもう少し夏と付き合うことになる。そんな空虚な思いを、俺は後何回ぐらい味わうことになるんだろうか。蝉の声、祭りの後には空しさだけがふさわしい。

あのカウンター席の中で集まろう

 なぜ蕎麦にラー油を入れるのか、という店名の蕎麦屋がある。


 店名にもなった疑問に対して「そんなもん知るか」という感想を多くの人は抱くだろうが店を立ち上げた人間にとってその疑問はかねてから積もりに積もっていた疑問であったのだろう。そしてその答えを自ら解決したいがために店を立ち上げたのだろう、と俺は推測している。そう、「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか」という疑問に対して答えが見つかっていればこのような店はなかったのだ。疑問に対する回答の追究にはしばしば実践が伴い、俺の場合で言えば、なぜアイドルのライブを観るのかという疑問を、AKIHABARAカルチャーズビル6階のアイドル育成型カフェのカウンター席に居座ることで実践しているのである。
 「なぜアイドルのライブを観るのか」という疑問に対する実践として、普通はAKBやら乃木坂やらハロプロやらのアイドルのライブを観ることを選択するわけだ。野外でも屋内でもコンサートホールでもライブハウスでも上手でも下手でも最前席でも最後尾でも、とりあえず「ライブを観る」という選択をとるのが普通であると思っている。しかし俺は「ライブを観る」という選択をいつの間にか避けるようになっていた。特別な思想があるわけではなく、単純に立ちっぱなしでライブを観ることが体力的に苦痛になっていたからであり、椅子が用意されているようなライブ*1であれば「ライブを観る」という選択をしたわけだ。
 実践として「アイドル育成型カフェのカウンター席に居座る」という選択を選んだ理由は体力的な面ばかりではない。ここで理由をつらつら述べても良いのだが冗長に過ぎるようにも思うので、具体例として先日AKIHABARAカルチャーズビル6階のアイドル育成型カフェ―――即ち、バックステージPASS(通称バクステ)に行ったときのレポートまがいの文章を箇条書きに記してみたいと思う。

  • 21:00前後だったか、バクステ着。客はまず受付にいるキャスト(店員)にどの席に入りたいかを告げる必要があるのだが、エリアがカウンターやステージなどに分割されていてそのエリアの席が全て埋まっていればそこのエリアの席が空くまで待つ必要がある。
  • 俺が入りたいと思っているカウンターの席はわずか5席であり、席が空くまで待つという事態をよく経験することになる。この日もそうだった。とはいえ、退屈しないのはエレベーター前の待合スペースにはモニターが設置されていて、そこでライブの様子を観る事ができるからだ。
  • モニターでは星野七瀬という名のキャストが泣きながら感謝の念を述べていた。この日は彼女の誕生日であり、キャストが誕生日を迎えると生誕ステージという名目でソロで曲を歌えたり客にメッセージを伝えることができるのである。これがライブ会場なら全ての客の視線がステージに向くところではあるが、ここは食事もアルコールも提供するカフェである。中には友人同士でくっちゃべったりキャストとおしゃべりしたりする客もいる。何があっても全ての客が一定の方向に集中していないというのは、俺にとってリラックスできる要因のひとつである。
  • 星野さんの生誕ステージが終わってから何十分と経って、俺はカウンター席に座った。ステージではキャストがソロステージとして他の歌手の曲を歌っていたが、この日誰が何を歌っていたか思い出せないということは、それほど印象に残らなかったということだろう。ステージにおいては個性と斬新さが必要であることは論をまたず、そういう意味では4期生の上田さんの『RPG』(SEKAI NO OWARI)や、6期生の黒木さんの『nerve』(BiS)や同じく6期生の宮部さんの『Desire』(中森明菜)が最近では印象に残っている。
  • だが、カウンターに居座ることの意味はステージ上のキャストのパフォーマンスにあるのではなく、テーブルに置かれたアルコールを飲み干すことにあった。あったのだが、その日俺が飲んだのは北海道ではポピュラーな清涼飲料水であるガラナだった。年のせいか、毎日アルコールを摂取することへの恐怖が募った結果である。
  • アルコールももちろんだが、カウンターに居座ることの一番の利点は一人でいられることに尽きる。別にテーブル席に一人で座ってもいいし、ステージ側には一人席も用意されているのだが、テーブル席の場合他の客とテーブルを共有しなくてはならず、一人のスペースはそれだけ限られることになる。一方、ステージ側の一人席は左側が壁に面しているため視界が狭いように感じる。カウンター席を選ぶのは消去法によるものであった。
  • 一人でいられることは他者との接触を拒絶することであり、俺は他のキャストとしゃべることはなかった。例外的にADなぎささんとか弘松さんとか白石先生*2など話しかけてくれるキャストもいるにはいるのだが、周囲の客の喧騒と俺自身のリスニング能力の低さにより、大体の会話は俺がえ?え?と何度も会話を聞き返しているうちにいつの間にか終了していることが多い。
  • 他者との会話ができない俺ができることは、スマートフォンツイッターまとめサイトを眺めてそこらの犯罪者のようにニヤニヤ笑いを浮かべるか、キャストの働きぶりを見ながらいろいろと考えるかのどちらかであった。ふと前方に目をやると、俺の目の前には「PARAISO」という名前の酒瓶があった。「おらといっしょにぱらいそさいくだ!」というとある漫画のセリフを思い出した。


 どう考えても冗長に過ぎない箇条書きのレポートであった。ともあれ、アイドル育成型カフェのカウンター席に居座るということは、ライブを観るという楽しみとはまた違う楽しみを持つのだということだけは理解していただきたいのである。そして俺はまたバクステに行くだろう。普通の顔して行ったんじゃつまらないから吉田類のような酒飲み気取りであのカウンター席に座ろう。

*1:大阪を拠点に活動しているJK21が上京した際に行う「JK21やねん」がその一例。

*2:現役の保育士として働いているらしく、「先生」と呼ばれている。

Anything Goes あるいは サマータイムブルース

 梅雨に入ったばかりの北千住の空は、炊飯器の中にほっておかれた白飯を思わせるような色の雲が敷き詰められていた。昨日あたりから敷き詰められていた雲からは粘性の高い雨が地面に降っていたせいで、ベランダから見える荒川は深い緑のような色ではなくうすい泥のような色をしていたし、同じくベランダから見える鉄工場は休みの日ということもあって関節がきしむような音をあたりに撒き散らすようなことはなかったが、前日から雨に濡れた鉄の色はくすみきっておりベランダから辺りの様子を見回していた俺の気持ちを曇らせるには十分だった。
 一週間前のことを思い出す。俺はしげさんという小柄な女の子のことを思い出すのである。しげさんは20歳を超えているから、「女の子」という表現は適当ではないかもしれないが、小動物を思わせるような愛くるしい表情やひとつ間違うと金切り声のように聞こえるしゃべり方を見てしまうと「女の子」という表現をしたくもなった。だがしげさんは俺が思うような「女の子」である以前に「アイドル」であった。しげさんはJK21というアイドルグループに所属していて、数年間の活動を経たのちに「卒業」という表現でもってアイドルの活動を終えたのだが、それが一週間前のことだったのだ。


 不運にもお前はこんなブログを見に来るような物好きなのだから、そこでしげさんと俺とがどんな会話をしたのが気にかかるのかもしれない。あるいは、ドラマ性のある出来事があったのではと思うのかもしれない。だが、そんなことはなかった。会話も出来事もなかった。一週間前、俺は新幹線で大阪まで出向き、関西テレビ内のステージで博多のアイドルグループであるHRとJK21のライブを見届けて、新幹線で東京まで戻り、秋葉原カルチャーズビル6階の「アイドル育成型エンターテイメントカフェ」なる大仰なコンセプトの店で黒ウーロンハイを飲み干して、そこのキャストたちが歌う歌に見送られる形で帰路に着いたのである。つまり、俺としげさんとの間でコミュニケーションと呼べるような出来事はなかった。俺が報告できることはそれだけだった。
 なぜそのような事態に陥ったのかという説明は省きたい。全ては日々の営み、つまらない言い方をすれば翌日の仕事のせいで悠長に大阪に滞在することが許されなかったからで、お前のような断罪を望む人間に都合の良い言い方をすれば、俺のせいなのだった。全ては、スケジュールを管理することをせず日々酒を飲み続け現実と適当に付き合う一方でアイドルという名の空想に逃げ込む、俺のせいなのだった。新幹線の行き帰り、あの日の空の色を思い出すことはできない。それはしげさんに会えなかったという悔恨よりも目の前のアルコールのせいであった。


 俺が初めてしげさんの顔を見たのは田町のライブハウスだった。JK21は遠征と称してたびたび東京を訪れ、週末に開催されるアイドルのライブにちょこちょこと顔を出していた。いかつく低音の声が効いた「番長」というニックネームの女の子も気になったが、「研究生」という名目でライブに出演していた、小動物を思わせるような愛くるしい表情をした女の子も気になった。しげさんのことである。この数年間、俺がしげさんに抱くイメージはまるで変わらなかった。サイン会では周りの狂騒をかき消すかのような大声でしゃべり、MCでは常にほかのメンバーのコメントに注意を払い、チャンスと見るやリスが木の実をかじるような勢いで関西仕込みのツッコミをいれた。田町で初めてしげさんを見てから、しげさんは正式メンバーに昇格し、リーダーになったかと思えば、スキャンダルの真似事みたいなスキャンダルに巻き込まれたり、またリーダーに復活したりしていた。そんな間にもJK21のメンバーは次々に入れ替わっていった。前述の「番長」も面長でカリスマとしか言いようがない風格をもった前リーダーも理想の高さゆえにアイドルの道を自ら断った女の子もみな去っていった。そして素人然としたメンバーが加入して、何かしらの個性を見つけていった。JK21はそうした新陳代謝が激しいグループであるがゆえに、しげさんにリーダーに返り咲いてからグループを去る日を考えなくてはならなくなった。それは俺も一緒であったが、去るかもしれないという不確かな未来のためにかける言葉などあるはずもなかった。俺は未来を考えることも過去を顧みることもできなかったから、しげさんだけでなくアイドルに対しては現実に直面した言葉しかかけられなかった。希望も絶望も俺の中にはなかったんだと、しげさんがJK21を去ってから改めて感じるのだ。そして俺はその出来事をまた顧みることもなく、また未来を向くこともないんだろう。Twitterで思い出をなぞり、ぼんやりと空想することで未来や過去を行き来する気分になれるのだから。


 俺は秋葉原カルチャーズビル6階のカフェのカウンター席で酒を飲んでいた。雲は北千住でも秋葉原でも同じ灰色をしていたし吹き付ける風は冷たかったが妙に湿っぽく、体にまとわりついては快気を奪うような気がしていた。そんな気分はカウンター席で酒を飲んでいても変わらなかったが、カフェのステージに渡辺美里が好きだとサイトのプロフィールに書いてあったキャストがいて幾分かその気持ちは晴れた。ステージ上のあの子が渡辺美里の『サマータイムブルース』を歌えば気分も晴れるかもと思ったのだが彼女が歌ったのは中森明菜の『desire』だった。俺は『desire』の歌詞の内容を考えることなく、何を望んでいたのだろうかを考えていた。未来にも過去にも本当に望むものを見出せなかった俺が現実に望むものはなんだろうと考えていた。夏がくれば、その答えが出るのかもしれなかったし、答えの代わりにあきれるほど繰り返した後悔が押し寄せてくるのかもしれなかった。そしてそれも未来の話、または空想に過ぎなかった。現実的に俺が思ったことは、声をひねって中森明菜を歌うステージ上のあの子、小動物みたいでかわいいなということだけだった。

Aについて

 俺がNegiccoの単独ライブについてブログを書くつもりが所属事務所をやめていくアイドルAの関する感傷をブログに書いたのは3月半ばの話であった。俺は純粋にNegiccoの話がしたかっただけなのだが、これまでにNegiccoが歩いた曲がりくねった道を想像しつつブログを書いていたので、Aが芸能活動を止めると言う話を知ってどうしてもAの話題を出さずにはいられなかったのだ。消えていくアイドルに、俺みたいなヲタでも関係者でもなんでもない中途半端な奴に何が出来るかと言えば、ただ言葉を連ねてそこにいた証を刻むしかなかった、といえば格好はいいが簡単に言えばブログでだらだらと感想を書き残すことしか俺はしなかった。消えていくアイドルに出来ることもすることも俺には無いように思えたからだ。

 Aが再び芸能事務所に入ったことを知ったのは、俺がブログを書き上げてから数日後の話だった。もう一度夢を追いかけてくれるんだ、という嬉しさよりもアイドルが夢を諦める瞬間を見なくてすんだ、という安堵があった。正確には一度夢を諦めた瞬間を見てしまった悲しみが、芸能活動を再開したことでノーカウントになったのである。自分が見てきたことの証を刻むのは俺だけではない。ブログやTwitterで自分の思いを刻む人はたくさんいる。Aもそのうちの1人だったのかもしれない。そして俺はその刻み付けられた思いを見てこうしたブログを書いているのだ。

 前置きは終わりにしよう。そしてAが誰であるかを明かしてもいいだろう。『さらば、宝石』の主人公である榎本喜八のようにAが誰であるかを最後の文章まで明かさないような工夫が出来るほど俺の文章は上手では無いし、何より、Aが芸能活動を再開する以上Aが誰であるかを隠す必要もなくなった。Aの名前は、赤羽つぶらという。つぶら氏がアイドルと呼ばれる職業を目指して歩んできた過程は、NGP研修生として活動していた頃にライブで配布していた「つぶら新聞」というA5サイズのプリント用紙に詳細に記されている。アイドルにただ「なる」わけではなくプロとしてのアイドルを目指す女性の信念が、プリント用紙に刻まれているのである。俺がつぶら氏にひかれたのはプリントに刻まれた信念に陶酔したわけではなく、信念や過程を屈託なく語れるその人間性を好ましく思ったからだ。いつしか俺の周りにはつぶら氏を応援する知り合いが増えていた。つぶら氏がブログでNGP研修生から卒業する報告をしたのは、彼女はNGP研修生としてどのような道を歩むのかと期待が膨らみつつある矢先であった。

 秋葉原のバックステージPASSで、俺はカリフラワーのピクルスをつまみにアーリータイムズのソーダ割りを飲み干していた。つぶら氏は、バックステージPASSと呼ばれる飲食店でキャストとして最後のステージに立つ予定であった。俺がバックステージPASSでつぶら氏のステージを観る機会は2回あった。1回目は『メロンのためいき』を歌っていた。2回目はあぁ!の『First Kiss』だった。今にして思えば、バックステージPASSには3回しか行ってないのに2回もつぶら氏単独のステージが観れたのは幸福なことであったのだが、俺はバックステージPASSとして最後のつぶら氏のステージを観ることは幸福とは違うものであった。その感情は何だろうか、と思い返す時に、つぶら氏が『メロンのためいき』を歌っていたときにそのステージを真剣に見つめていた1人のキャストの姿が思い浮かんだ。「つんつべフェス」というイベントで『メロンのためいき』をつぶら氏と一緒に歌っていたミズキングこと山下瑞稀の姿だった。ミズキングもまたNGP研修生を卒業して別の事務所にてアイドルを目指す身であるのだが、俺の感情はつぶら氏が歌う『メロンのためいき』を聴いているときのミズキングの感情と似たものがあるかもしれない、と思っていた。
 いろんなセンチメンタルを、俺はアーリータイムズのソーダ割りで流し込んだ。俺は別にウイスキーのソーダ割りが好きなわけではなく、バックステージPASSで安く酔えそうなアルコールがウイスキーのソーダ割りであったからに過ぎない。そして、歓送迎会という名目で、キャストの卒業イベントが行われた。キャストは客に感謝の言葉を述べて、歌を1曲歌い、客の中から希望者を募り花とメッセージを送るというのが歓送迎会の流れであり、つぶら氏もその流れ通りに客の感謝の言葉を述べて、歌を歌った。曲はメロン記念日の『赤いフリージア』だった。

純潔の Ah 赤いフリージア
幻ならばそれでいい


信じることにするわ
二人の運命


いつまでも Ah 赤いフリージア
プレゼントすると誓ってよ


もうすぐ一年になるわ
二人出会って
もうすぐ一年になるわ
あなた愛して…


信じることにするわ
赤いフリージア

 『赤いフリージア』はこんなにさまざまなことを客に示唆させる歌だっただろうか、と俺は思っていた。俺がつぶら氏を初めて見たのは確かに約1年前のことだったように思えた。震災があって1,2ヶ月あったころにNGP研修生のライブが行われたのだから、約1年前と言っていいだろう。純潔、フリージア花言葉は純潔という意味なんですよ、とメロン記念日のメンバーであった柴田あゆみが言っていたような気がする。さまざまなアイドルを観に行ってはあーだこーだと毒にも薬にもならないようなことを適当にTwitterに書き散らかしている俺には、「純潔」という言葉はかすかに胸が響く言葉だった。別にアイドルに恋愛感情を抱いた経験はなかったのだが、なぜかこのときは「純潔」という言葉が胸に響いた。

 今になって思えば、つぶら氏はアイドルという職業に純潔を捧げたから『赤いフリージア』の歌詞が響いたのではないか。所属事務所が変わったことで、NGP研修生時代のように歌や踊りができるような環境になるとは限らないのだ。万感の思いを込めて歌っても不思議ではないのだった。つぶら氏は俺にたくさんのプレゼントを残したが、俺は何もせず席に座ってアルコールを摂取しているだけだった。客がメッセージとともに花をつぶら氏に渡していた。素直な言葉を、俺はしゃべることが出来なかったからアルコールを摂取していた。そうして後でいろいろと思い返しながらブログを書いていた。ただ言葉を連ねてそこにいた証を刻むしかなかった。つぶら氏が『赤いフリージア』を通して伝えたかった100万分の1にも満たない感情を、俺はブログを通して伝えようとしていた。しかし、そんな行為よりも、つぶら氏がステージを降りて客と言葉を交わしていたときに、俺もありがとうという言葉の重みを引き伸ばしつつ一言二言つぶら氏に言葉をかけたことのほうがよっぽど感情が伝わっていたような気がしてならないのだ。

 思いを伝えると言うことは何だろうか、と俺は今こうしてブログを書きながらもぼんやりと考えている。人間と人間は分かり合えないものだからこそ分かり合おうとすることこそが尊いのだと思っている。ならば、思いを寸分の狂いもなく伝えたいときにはどうしたら良いのか。発掘した化石から古代の歴史を想像して組み立てるように、刻みつけた言葉から人を理解してあげるのだろうか。アイドルを好きになってからそういうことを考える機会が増えたし、自分の思いを人に届けようとするアイドルを見て考えることも多くなった。つぶら氏が伝えたいことは何だろうか、と俺は考える。つぶら氏が俺や俺以外の人間に何かを伝える機会がこれからもあることに感謝しながら、考えている。

0319→0317

 俺は3月17日に渋谷で行われたNegiccoの単独ライブの感想を書こうとしているのだが、その前にあるアイドル(アイドルの名前を仮にAとする)が所属するグループを抜けたという話をしたい。Aを初めて観たのはおそらく1年前のとあるライブだったと思う。そのときには俺はAの名前も姿も把握しておらず、その他大勢の中にAがいたという認識だった。やがてAはあるグループに所属して、俺も何度かそのグループを観に行った。Aのダンスや歌はグループの他のメンバーに比べて一日の長があった。それはAがアイドルになるための訓練を積んできた証拠でもあり、訓練を積むための時間を費やしてきたことの証拠でもあった。その証拠を自分の目で確かめたからこそ、俺の知り合いの中にもAに魅了される人間が多かったのである。

 そのAがグループを抜けた。Aが事務所主導ではなくプライベートで作ったブログにグループを抜ける理由が記載されていた。夢に向かって走り続ければ体も心も疲れる、Aは疲れきったのだ、と俺はAのブログを読んで思った。夢に向かって走ることは長距離走とは異なり、給水所で水分を補給することも出来ず、明確なゴールがあるわけでもない。「頑張れ」という無力な言葉しかかけることが出来ない観客だけが、夢に向かって走り続けるAにとっての支えだったのかもしれない。Aが疲れきって走ることをあきらめたときに何を思ったのだろうか。観客の顔だろうか、自らが目指していた夢だろうか、依然として夢に向かって走り続けるランナーたちだっただろうか。その答えを知っているのはAだけしかいないことしか観客の俺にはわからなかった。

 Negiccoの単独ライブの話をする。Negiccoの単独ライブはSOUND MUSEUM VISIONという「高純度なアンダーグラウンドスピリットが充満するDEEP SPACE」(SOUND MUSEUM VISION公式サイトより抜粋)という一般人にはすぐに連想できないような場所で行われたのだが、去年の3月20日にもNegiccoは渋谷で「STAR☆JUMP☆STADIUM」と銘打った単独ライブを行っていた。東日本大震災からわずか9日後、アイドルのライブを初めさまざまな催事が延期あるいは中止となる中でNegiccoは単独ライブを予定通り決行したのである。開催にこぎつけたのはさまざまな人間の努力があってからこそであろうことは俺は理解していたつもりだったので、素直に快哉を叫んだし、震災によって生まれたもやもやとした心情も晴れるだろうと思っていたのだ。
 しかし、ライブ終了後のMCでNegiccoのメンバーから告げられた言葉に俺は気づかされるのである。震災によって生まれたもやもやとした心情が生まれたのは俺だけではなかったということを。自分たちがライブを開催してもいいものかどうか、今自分たちに出来ることは何か、そして、Kaedeは「今日のこのライブが成功なのか失敗なのかまだわからない」と言った。観客もスタッフも舞台上の演者も含めて、同じ心情をもってこのライブに臨んでいたのだと遅まきながら俺は気づいたのだった。同じ心情を共有するということは、自分は孤独ではないと感じることだ。自分が孤独ではないことがわかったのだから、俺自身はあの日ライブができて良かったというのが俺の答えだったが、Kaedeはどう思っているのだろうか。俺はその答えを、あの日から約1年後に開催された単独ライブで聞くつもりだったのだ。

 結果としては、聞けなかった。それは楽しかったライブの後の握手会でわざわざ去年のライブの感想について聞くことに対する遠慮があったわけではなく、時間的な制約だった。握手をして、じゃんけんに負けて(勝てばエコバッグがもらえた)、ありがとうございましたと礼を述べたぐらいだ。でも別にそれでもいいかと思えたのは、ひとえにこの日のライブが楽しかったからだ。1年前のように、もやもやした心情をもっていろいろと考えることもなく、楽しいという感情で脳内を占めるような時間を過ごせたのだ。ダンスや歌の上手い下手ではなく、歌をトチるとか振りを間違えるとかそういうことではなく、ただ会いたかったアイドルが目の前にいるという単純なことが楽しかったのだ。いろいろな感情が入り混じっていた1年前の単独ライブに比べて、ポジティブな感情、ポジティブな言葉、ポジティブな空気を皆で共有できたのである。
 ライブ終わりに、Nao☆は「夢を叶えた人は夢を諦めなかった人です」と言った。その言葉はNegicco自身が証明してみせたのだから事実なのだ。「夢を諦めた人は夢を叶えられなかった人」と言い換えられることも、また事実なのであった。Aのことを思い出す。Aは自分の夢を諦めた人間だったのだろうか。そうでは無い、と俺は信じている。なぜならAのブログには「自分の小さな夢を叶えてくれた」と感謝の意が書いてあったからだ。Aは自分の夢に向かって走り続け、ついにゴールテープを切ったのだ。ゴールテープを切って倒れこむランナーの姿が俺の脳裏に浮かんだ。倒れこむランナーを見て、もう一度走ることを願う観客はいない。休息と感謝の気持ちを祈るだけであり、走り続けるランナーにはこれまで以上の声援を送るだけである。それが決して届くことのない言葉であったとしても。





 ※追記(2012/03/27)
 その後、Aは別の事務所に入って芸能活動を続行するとブログで報告した。「夢は叶う」と信じて夢を見続けること、現実を見て夢に区切りをつけるべきだと考えること、さまざまな意見があるだろうが、たとえわずかな期間でも好意を寄せることができた人間の幸せを願わずにはいられない。それがアイドルならば、なおさらのことだ。

OK! I'm ready to be suga-yui-sick!!!!

 俺がはてなダイアリーを開始して1日で飽きてから今までにいろいろなことがあった。地震が起きた。津波が起きた。原子力発電所が爆発した。放射性物質が飛散したりしなかったりした。電力会社が袋叩きにあった。しかしこの俺の日常は全く変わらなかった。平日は会社に出かけて休日はアイドルのイベントに通うという日常。日常の隙間に非日常を見出そうとする日常。10年後も20年後も50年後も永遠に変わらないかもしれない日常。生きている限り日常からは逃れられそうにない、と観念したくなるくらいとにもかくにも日常が常に俺の前に後ろに左に右にべったりとくっついては離れなかった。
 だけどそれは俺に限ったことじゃないんだ、とももいろクローバー早見あかりが脱退する日に考えていた。早見あかりは「自分はアイドルに向いていないからアイドルを辞める」らしかった。彼女の本心はさまざまな人たちの解釈によって膨張して、ももいろクローバーのファンの日常に侵入した。しかし、それは「非日常が日常に入り込んだ」わけではなく「早見あかりの日常が自分の日常に入り込んだ」だけであった。アイドルがどのような日常を過ごしているかは妄想の範囲でしか語れない事柄だが、少なくともアイドルだからといって毎日が非日常であることは無いとは思っていた。例えば、撮影やレッスンなどは憧れの芸能界に入った際にかかった熱病に火照っているうちは非日常かもしれない。しかし、芸能界というひとつの社会の枠組みで生活するためには熱病から速やかに覚めて生きていく術を身につけねばならないことに、意識的にあるいは本能的に気づいたはずだ。ももいろクローバーの6人を見ていると、彼女たちにはその「気づき」があったことを思い知るのである。彼女たちには、傍目には非日常にも思える日常を過ごしてきたのである。
 だからといって、4/10に行われたももいろクローバー中野サンプラザのライブ、即ち早見あかりももいろクローバーとして活動する最後のライブを、彼女たちにとっては日常だから、という理由で行かなかったわけではなかった。単純にチケットが取れなかったのだ。だから、日常の中に非日常を見出そうとしたのは俺だけではなかったのだ、ということを、中野サンプラザの会場の外で考えていたのだ。時折聞こえる悲鳴のような歓声は非日常を見出した!という喜びのようでもあった。

 だらだらと日常とももいろクローバーを結びつけて書いているのは俺の悪い癖で、本論に入る。ライブ後、中野の中華料理屋で飲み会に参加することになっていたのだ。だから俺はチケットが無いにも関わらず中野サンプラザの会場の外にまで出かけてうだうだと考えていたのだった。酒は簡単に非日常の隙間を見せてくれるツールであり、そこに美味しい料理があるのならなお良し、と考えたからだ。いそいそと中華料理屋に出かけ、ひそかに乾杯の音頭を待ちわびていると、ひとりのちょっと地味な服装をした女の子が現れたのだった。飲み会の主催者のイトウさんによると、これからこの女の子が『chai maxx』を踊ります、というようなことを言うのである。へ?と思っているとイトウさんはラジカセの再生ボタンを押した。『chai maxx』のメロディーが流れ出したその瞬間、地味な服装をした女の子は弾けるように踊りだした。それはまるで空間の裂け目からいきなりももクロのメンバーが現れたかのようだった。ラジカセの音飛びや、中華料理屋の店員のあきれたような笑顔は、日常のものだったかもしれない。しかし、俺の目の前で踊る女の子はまぎれもない非日常だった。あの、ちょっと地味な女の子の名前が「すがゆい」だと知ったのはいつだっただろう。あの飲み会の最中だったか、あるいは自宅に帰ってからだったか。少なくとも、あの非日常の体験とともに「すがゆい」という名前が刻み込まれたのである。

 それから1ヶ月ほど俺はまた日常を過ごした。相変わらず放射性物質が飛散したりしなかったりしていることも原子力発電所がバリヤバい状態になっていることも全ては日常の中に組み込まれた。日常がより強く俺の体に貼り付いて歩きにくくなりつつあったのを、酒と美味しい料理とアイドルの歌の力で少しずつ剥がしとりながら、中野ロープウェイでもらったフライヤーを片手に新宿歌舞伎町をうろついていた。そこには「すがたゆい」という名前が書いてあった。このフライヤーをもらったとき、イトウさんはオープニングアクトに出るから、と言っていた。ラブホテル街をうろつきビルの5階にある会場に入ると、キャバレーのような空間があたりに広がっていた。こんなところであの地味だった女の子が踊るの?という戸惑いを感じていた。俺はこの会場に入る前に、ビールや缶チューハイをしこたま飲んでいた。俺はそうまでして非日常を手に入れたかった。金が無いのは頭が無いのと一緒や、という格言が頭をよぎる。非日常を手に入れたいがために俺はバランスを失いつつあった。酒を飲むにも美味しい料理を食べるのにもアイドルのライブに行くにも現実問題として金がかかるのである。金がなくなるということは日常を過ごせなくなるということでもあり、三十路に足を突っ込んだ人間としてはあまりにも情け無い姿ではあった。そう、三十路に足を突っ込んだ人間ならば日常を甘んじて受け入れて過ごすのが正しい姿なのだ。日常の中に非日常を求めてうろつきさまようなんていい大人の姿ではない、俺が子供のころにイメージしていた30歳はこんなに幼いものではなかったはずだ。自己批判が頭の中を渦巻く中、『ももいろパンチ』のような衣装を着たすがゆいちゃんが出てきた。そして踊った。この日のすがゆいちゃんは2曲踊った。1曲目はモーニング娘。の「Moonlight night」という曲だったそうだが、俺はアイドルファンを気取っているくせにモーニング娘。についての楽曲についての知識が薄く、ひょっとしてオリジナルの曲で歌ってるのかな?と思ったりもした。2曲目は、あの日の中華料理屋で見た『chai maxx』だった。すがゆいちゃんはももいろクローバーのしおりん似だとするのは早計で、俺にはキャナァーリ倶楽部のおがまなのような、陰を陽に転換するような力が強いのだという気持ちをおぼろげながらに遠くからでも感じていた。
 そう、俺はすがゆいちゃんの踊りをわりと遠くから見ていた。その気になればかぶりつきになって見ることだって可能だったかもしれないが、普段から目立たずに日常を過ごしたいと願っている俺にとっては難易度の高い行為だった。俺に出来たのは、歌にあわせて時折遠慮がちに手を振り上げることぐらいだった。しかし、すがゆいちゃんの踊りには遠慮はなかった。もし、彼女にとって踊ることが日常だったのなら、普段から目立たずに日常を過ごしたいと願うだろうか?そもそも、日常と非日常の境目というのは皆が共有しているものなんだろうか?そんなことを酔いから醒めつつある頭で考えている間に、すがゆいちゃんはステージから去っていった。俺は追いかけたのはすがゆいちゃんではなく、醒めつつある酔いであったので日本酒を買って飲んだ。そしてまた考えた。日常と非日常が表裏一体のものであるのなら、貼りついた日常を剥ぎ取ることなんて不可能なのではないかと。きっとどこかで日常と非日常が入れ替わるような瞬間を、皆は受け入れていたのではないかと。俺はそれがどの瞬間で行われていたのかを、いまだに分かっていないだけなのかと。酔った頭で考えたのだが、たとえしらふの頭でも俺の愚図な脳みそでは考えきれなかっただろう。そう考えたのはすがゆいちゃんと話をして写真やらバッジやらを買う数十分前の話である。日常というのは何だろう、と俺が考え始めたきっかけでもあったのである。今はただ、日常と非日常について考えるきっかけを与えてくれた、すがゆいちゃんに感謝するのみだ。俺は缶チューハイを飲みつつ、今日も、そして未来のいつかの瞬間にも日常から抜け出して非日常へと抜け出せないか、その術を求めてさまようのである。